タイトルだけでは、伝わらない映画。
蜂の意味も映画を見ればなるほど、と思う。
原作(同タイトル)はジョン・ル・カレが2003年に執筆した作品。
脚本にも彼は協力しており、2006年度のアカデミー賞脚色賞にノミネート。
そして助演女優賞にテッサ役のレイチェル・ワイズが受賞。
テッサのモデルとなった実在の女性イヴェット・ピアパオリに捧げられた原作小説は、ケニア政府を批判する内容に描いていたため、ケニアでは“発禁本”扱いだったそうです。(あるブログから引用)
この映画、宣伝ではラブ・ストーリー。サスペンス。とジャンルを付けられているけれど、私にはドキュメンタリー映画のように思えた。
しかし、ラストでの主人公ジャスティンの取った行動を見ると、究極のラブストーリーであることも間違いではない。
主人公ジャスティンは庭いじりの好きな英国外務省一等書記官。
妻テッサはスラムの医療施設を改善する救助活動に励んでいた。
ナイロビの空港からロキへ旅立つ、テッサを見送った二日後。
何者かによってトゥルカナ湖で殺されたという報告を受ける。同行したアーノルドも行方不明。警察は強盗事件として処理される。
なぜ男の人と二人きりでそんな場所に行ったのか?
ジャスティンは次第に、浮気をしていたのでは?そもそも結婚も愛ではなく利用されていただけなのでは?と多くの疑いを抱くようになる。
悲しみに暮れる中、テッサの死の真相を調べていくと、大手製薬会社がアフリカの貧しい人々を使って実験をしていることがわかる。しかしその薬には問題が・・・。
テッサがその真実を外務省に密告した数日後、何者かに殺されたことが分かる。
ロンドンに戻り、テッサの従兄弟の弁護士のハムを訪ねたとき、テッサが何を成し遂げたかったのか、なぜ自分に内緒で事を勧めていたのか全てを知ることに。
テッサへの愛を確信したジャスティンは、テッサの成し遂げたかった事を形にするため命がけの行動をおこす。
あっという間にジャスティンは政府のターゲットにされてしまい、国外に出ることさえ難しくなってしまう中、テッサの死の真相、大手製薬会社に陰謀を暴くための行動はとにかくハラハラさせられる。
ジャスティンがどこにいても、殺そうと待ち構えている人間が必ずどこかにいるのだ。
そんな中ジャスティンに協力してくれる数人の人物も、自分の身の危険に脅かされながらも、彼に真実を告げる。
しかし、その行動も近々死が迫っていることを理解した上での事なので、見ていて胸が苦しくなった。
庭いじりしか興味のなかったジャスティンが。次第に身の危険をおかしてまで真相を暴こうとするその信念は。テッサへの深い愛ゆえできる行動。
その「愛」の形に、涙が流れた。
映画の1/3しか出演していないテッサ役は、レイチェル・ワイズだったからこそ、見る側に強く印象付けた人物になったと思う。主役のジャスティンが少し薄く見えるほど。
実際に妊娠中の彼女の妊婦姿の裸体には驚いたが。またそれも体をはっていて、生々しさが美しいのだ。
映画を見終わった後深く心に残ったのは、テッサの従兄弟が最後に訴えた言葉「1人の命が安い」という言葉だった。
この一言が映画全てのテーマに思えた。
今この瞬間、一人の命が救える状況で「そういう規則だから」とか「きりがないから」と救わない現実を目の当たりにするジャスティンの真相は、心臓をえぐり出されたような気分になった。
テッサの死の前は「救わない」人間だったジャスティンも、救おうとする人間に変わったことは何よりも大きい。
そういう人間がもっともっと増えたのなら、世界はどんどん変わっていくのに。
最近社会派映画を見る機会が増えたので、自分に何が出来るか考える時間も少し増えた。
映画は偉大だ。人の心を動かすのだから。
もっともっといい映画を作って、人の心を動かして欲しいと願うが、アメリカでも
映画人口が減っている現実は本当に哀しいことだと思う。
娯楽だけが、映画ではないのだから。
監督は「シティ・オブ・ゴッド」のフェルナンド・メイレレス
ナイロビの蜂 オフィシャルサイト↓
http://www.nairobi.jp/
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